五智山蓮華寺|蓮華寺とは

五智山蓮華寺|蓮華寺とは

五智山 蓮華寺は京都市右京区御室にあり、真言宗御室派の別格本山として、その長い法灯を守り伝えてきました。 本堂にはご本尊の阿弥陀如来様が祀られています。不動堂には五智不動明王様が祀られ、毎月28日には護摩供養、夏には宗祖・弘法大師ゆかりの秘法「きゅうり封じ」が行われます。門をくぐり、中に入ると大きな石仏、薬師如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来の五体の五智如来座像が、私たちを優しく迎えてくれます。

別格本山五智山 蓮華寺は近畿三十六不動尊霊場の十五番目に位置しています。近畿三十六不動尊霊場とは近畿地方の大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県にある不動尊(不動明王)を祀る三十六ヶ所の霊場です。宗派にとらわれずに一般の人々の立場から霊場寺院が選定され、昭和54年(1979)に発足しました。

五智山蓮華寺|蓮華寺の石仏

寛永18年(1641年)常信(樋口平太夫家次翁)が蓮華寺復興に当たり、木喰僧・坦称上人に五智不動尊像の修理と五智如来の彫刻を依頼。坦称上人はこの彫刻にあたり信州・浅間・紀州那智三山で各百日の荒行を遂げて、現在の石仏を完成。五智不動尊は千余年の永きにわたり弘法大師初願のお守り不動としてその霊威を発揮し、今日まで脈絡として広く信仰を集めています。

五智如来とは、五大如来とも呼び、大日如来を中心とし、宇宙そのものを象徴したもので、太陽のごとく万物を慈しみ、知恵と五穀豊穣の功徳を表しています。

五智山蓮華寺|蓮華寺の歴史

藤原康基は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。
1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移される。
伊勢生まれ江戸の豪商、樋口平太夫家次翁は、五智不動尊の霊夢に導かれ、発心入道して常信と名を改める。
常信は秩父三十四カ所・西国三十三カ所・坂東三十三カ所を木の実、草の根を食べながら裸足で6年間の修行を遂げた。
常信は荒廃していた蓮華寺の伽藍堂宇を再興し、仁和寺の宮覚深法親王(後水尾天皇皇兄)より改めて五智山蓮華寺の号を賜る。※常信は再興に当たり、木喰僧・坦称上人に五智不動尊像の修理と五智如来の彫刻を依頼。
住職慈海大僧正により寺院は現在の御室に移される。
山上山下に離散し、痛ましい御姿であった五智如来を始め、
石仏群を収集し修復をして境内に遷座安置される。
※鳴滝音戸山山頂には、今も蓮華寺中興十七代までの各代霊墓が祀られている。